大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)203号 判決

上告人

日本ムード株式会社

右代表者

谷澤栄一

右訴訟代理人

坂和章平

外五名

被上告人

株式会社ダイレー

右代表者

寺川恵造

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人坂和章平、同木村保男、同的場悠紀、同川村俊雄、同大槻守、同松森彬の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

公正証書の作成に当たり債務者の代理人が公証人に対し債務者本人と称して嘱託をしたうえ証書に債務者本人の署名をした場合には、右証書は公正の効力を有せず、債務名義としての効力がないものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(昭和五〇年(オ)第九一八号同五一年一〇月一二日第三小法廷判決・民集三〇巻九号八八九頁)。この理は、債権者の代理人が債権者本人と称して嘱託をしたうえ証書に債権者本人の署名をした場合においても異ならないものというべく、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官横井大三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官横井大三の反対意見は次のとおりである。

私は、上告理由第二点について、多数意見と異なり、公正証書の作成に当たり債権者の代理人が公証人に対し債権者本人と称して嘱託をしたうえ、証書に債権者本人の署名をした場合であつても、右代理人が債権者本人から公正証書作成嘱託の権限を授与されており、作成された証書の内容が授与された権限の範囲内のものであるときは、その公正証書は、債務名義として有効であると解するのが相当であると考える。もつとも、代理人による公正証書作成の嘱託については、公証人法に厳格な手続規定(同法三一条、二八条、三二条、三九条、同法施行規則一三条の二)が設けられており、これらの規定の趣旨は、公正証書が正当な権限をもつ者によつて嘱託され、その記載事項が真実に合致することを担保し、もつて公正証書に対する一般の信頼を高めようとするところにあるものと解される。したがつて、公正証書の作成に当たつては、このような法の要求する厳格な手続を履践しなければならないことはいうまでもない。しかしながら、既に作成された公正証書が、債権者の代理人において、公証人に対し自分が代理人であることを秘し本人と称して証書の作成を嘱託したうえ、証書に本人の署名をしたものである場合には、その行為が前記法の定める厳格な手続を履践したものでないという意味においてその作成手続に瑕疵があるとしても、本人が代理人に公正証書作成嘱託の権限を与えている場合で、作成された証書の内容が与えられた権限の範囲内のものであるときは、作成手続に瑕疵があるという理由だけからこれを無効なものとするのは相当でない。多数意見のようにこれを無効とするときは、あらためて正しい手続を経たうえ同じ内容の公正証書の作成嘱託をしなければならないことになつて不経済であるばかりでなく、債務者を不当に利する結果となるのであつて、公平の理念に反すると考える。

これを本件についてみると、原審が確定したところによれば、大阪法務局所属公証人椎村透作成にかかる、上告会社を賃貸人、被上告会社を賃借人とする昭和四九年第三二二〇号建物賃貸借契約公正証書が存在し、右証書の内容は債務者の執行認諾の意思表示をも含め双方の代理人に授与された権限の範囲内のものであるが、債権者である上告会社の専務取締役延澤義郎が上告会社の代表者谷澤栄一から証書の作成嘱託の権限を授与されていたものの、公証人及び被上告会社の代理人に対しては、自分が代理人であることを秘し、谷澤栄一であると称して作成を嘱託したうえ、同証書に谷澤栄一と署名したというのである。原審は、右事実関係のもとにおいて、本件公正証書は、債権者の代理人が本人と称してその作成の嘱託をし、自ら債権者の氏名を記載した点に違法があつて、公正の効力を有しないとするものであるが、私は、かかる公正証書であつても、債務名義として有効と解すべきものであると考える。そうすると、原審の右判断には法令解釈の誤りがあり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

なお、本件は債権者の代理人が債権者本人と称して公正証書作成の嘱託をした場合であるが、債務者の代理人が債務者本人と称して公正証書作成の嘱託をした場合については、債権者の場合と異なり、公正証書作成嘱託行為のほか、執行受諾の意思表示の効力が問題となる。しかし、私は、この場合にも代理人のした執行受諾の意思表示が与えられた権限の範囲内のものであるときは、その公正証書は債務名義として有効であると解する。したがつて、右と異なる見解を採る当裁判所の判例(昭和五〇年(オ)第九一八号同五一年一〇月一二日第三小法廷判決・民集三〇巻九号八八九頁)は変更されるべきものである。

(服部高顯 環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)

上告代理人坂和章平、同木村保男、同的場悠紀、同川村俊雄、同大槻守、同松森彬の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 原判決は次の点において、民法、民事訴訟法、公証人法等の法令の解釈、適用を誤つた違法、更には理由不備もしくはそごの違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

1 原判決は、最判昭和五一年一〇月一二日の一部をほぼ、そのまま引用して自己の判断としたうえいわゆる署名代理が債権者の側にあるときは、公正証書の公正の効力に影響はないと解する見解を採用しないとした。原判決が右の如き結論を導いた根拠を要約すれば次の三点である。

① 公正証書の公正の効力は、執行受諾の意思表示に関する点のみに限られるものではないこと。

② 代理人の嘱託による公正証書の作成について手続上の諸規定が法律によつて規定されているのは、公益上の要求によるものであること。

③ 従つて、(公正証書の公正の効力は)債権者側ないし債務者側が公正証書作成の際なした意思表示の私法上、実体上の効力とは区別して考えるべきであつて、手続上の違反が債権者側にあるか債務者側にあるかによつて相異をきたすのは相当でないこと。

しかしながら、原判決の右判断は次にのべるように明らかに法令の解釈適用を誤つたものである。

2(一) まず、原判決の前記②の点は、確かに原判決の判示するとおりであり、誰も異論を差しはさむものはないであろう。しかし問題は公正証書作成についての手続が公益上の要求から厳格に法定されているということから、直ちに右手続に若干のミス(手続上の瑕疵)があれば、公正証書の効力が否定されることになるか否(すなわち、前記③の結論となるか否か)である。この点を原判決の如く単純に結論づけてしまうならば問題は極めて簡単なことになるが、それはあまりにも従来の判例学説の検討を無視した原判決の独断である。

(二) すなわち、過去の判例は、①債務者の代理人が本人として作成嘱託し、署名した公正証書は、公正証書としての効力を有しないと判断している(東京高判昭和三四・二・二五、甲府地判昭和三二・八・二三)のに対し、②債権者の代理人が本人として作成嘱託、署名した場合は、手続上の瑕疵はあるとしてもこのような瑕疵は公正証書を無効とするものではないとしている(大阪高判昭和三四・六・一二、福岡地判昭和三九・四・一、大阪地判昭和三九・四・二七等)。

そして、右判例を仔細に検討すれば、右①の判例は署名した者が不明であつたり、代理権があるか否かが不明な第三者が債務者本人として署名したりした事案で、実際に署名したものの代理権自体に問題があつたことを実質的な理由としたうえ、形式的には公正証書が本人によつて署名されていないとの理由で公正証書の効力を否定したものである。

同様に、右②の判例はいずれも本人と称して署名した代理人の代理権が明確であり、実体法的な権利関係について当事者間に争いがなく、債務者側の執行受諾の意思表示には何らの瑕疵もないという事案で、実体法上の権利関係を正しく反映しているという事実を手続上の形式的瑕疵に優越させて有効と判断したものなのである。(この点中村英郎「債務者の代理人が本人として署名押印した公正証書の効力」判評二二一号三〇頁および徳田和幸「債務者の代理人が本人としてした作成嘱託及び執行受諾に基づき作成された公正証書」判タ三四六号一一一頁等参照)

(三) 他方学説においても、右各判例に対して賛成、反対の見解の相異はあるもののそのすべては実体法上の効力(すなわち、代理権を真実有していたか否か、執行受諾の意思表示は有効か否か等)の有無の問題と、公証人法等で要求している厳格な方式の履践の有無の問題との関係をどのように考えるべきかを検討したうえ、それぞれの結論を出しているのである。(前掲二つの論文参照)

(四) しかして、最判昭和五一・一〇・一二についての前記二つの判例評釈において、中村教授は、署名代理が債務者側においてなされた場合でも、債権者債務者間の実体的法律関係を正しく反映している以上これは有効と判断すべき旨を論じ、債権者側のそれは、当然有効としているのであり(前掲二一〇頁)、また徳田助教授は①執行受諾の意思表示が債務者本人に対して効力を生ずるときには、嘱託行為の瑕疵のみを理由として効力を争うことはできない。②代理人が本人として作成嘱託することは違法であつても、その相手方がこの事情を承知しつつ異議を述べなかつた場合のように作成経緯からみて、証書の効力を争わせることが具体的妥当性を欠く場合には、作成手続における瑕疵は治癒されるとしたうえ③右最判が、債権者の代理人が本人として公正証書の作成嘱託をした事案についても同様に考えているとすれば、右最判に対しても新たな疑問が出される旨を明らかにされている(前掲一一二頁〜一一四頁)のである。

このように検討すれば、原判決が、実体法上の権利関係とは区別して(これはすなわち、この点を全く考慮せずという意味となる)証書作成手続上の法定の方式の履践の有無のみでその有効、無効を判断するというのは、法令の解釈を誤つたもの、理由不備もしくはそこの違法があること明らかである。

3 次に原判決が挙げる前記①の点も、取引の実情を全く無視した形式論である。

原判決の「公正証書の公正の効力は、執行受諾の意思表示に関する点のみに限られるものではない」というのは、他に一体どんな公正の効力を予想しているのであろうか。一般に公正証書を作成する主たる理由はこれを直ちに債務名義として利用するためであり、また、そうであるからこそ、執行受諾の意思表示を有効になしたかどうかが最大のポイントとして位置づけられ前述の如く過去の判例学説においても債務者方の「署名代理」の場合と、債権者方のそれの場合とで結論に差異が生じていたのである。公正の効力が執行受諾の意思表示に関する点のみに限られるものではないとしても、その最大の問題点の十分な検討を回避した原判決の法令解釈の誤り、理由不備もしくはそごの違法はきわめて明白であろう。

4 更に原判決が、自己の判断を正当化するために引用した最判昭和五一・一〇・一二は周知のとおり債務者側の代理人が、代理人として署名捺印せず、いわゆる署名代行により公正証書が成立したケースについて、公正証書が債務名義としての大きな効力を有すること、従つてまた法定の厳格な要件を充足する必要があること、また執行受諾の意思表示は訴訟行為であつて民法の表見代理の規定が適用又は準用されないこと等を主要な理由として、公正証書の効力を否定したものであり、債権者の代理人が本人として署名捺印した場合とは異なり、執行受諾の意思表示の効力の有無の判断が一つの重要な理由とされているのである。

従つて右最判の射程範囲は、当然債務者の代理人が本人として署名捺印した場合に限定されるものと考えなければならない(前掲二つの論文も基本的には同趣旨と解せられる)。原判決は、右最判が掲げる理由を全体として考察せず個々的に把え、法定の手続履践の重要性を強調するためにのみ右最判を引用したものであり、法令解釈適用の誤り、理由不備もしくはそごの違法は明らかである。

5 本件は、公正証書をめぐり潜在的にはかなり多数存在すると考えられる債権者方の署名代理の場合の公正証書の効力の問題であり、その影響力はきわめて大きいものがある。上告人代理人は原判決が導いた結論はあまりにも取引の実態を無視した形式論であると確信するものであり、最高裁判所においては取引の実情を踏まえた公正妥当な判断を下されるよう切望する。

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